駐在員家庭のサーバント

lungi.jpgインド駐在員補佐として派遣された私は、当初駐在員の家庭に寝泊りしそこで食事も一緒にしていました。

写真右のインド人男性は、ソーマンという駐在員家庭のサーバント(昔風に言うと召使)のリーダーです。

この写真は、南インドの衣装ルンギを買ってきた私(写真左)が、ルンギを付けたところ、サーバント達が、面白がって寄ってきて、「あーしたらいい、こーしたらいい」と鉢巻をつけてくれたりして、記念に撮った写真です。

駐在員家庭では、だいたい4人のサーバントを雇っており、それぞれ仕事がはっきり分かれていました。日本人だと全部の仕事を一人でやっちゃうんでしょうが、インドでは、細かく仕事が分かれています。

例えば、掃除のためにサーバントを雇ったとします。
するとそのサーバントは、床掃除なら床掃除しかしません。いつまでたっても、床掃除をしています。壁やテーブルの上や棚も掃除するように言っても、私の仕事は床掃除だ。と言って他の仕事はやろうとしないんです。

どうやら、生まれた家によって、就く仕事が決まっているようなんです。
ですから、さっきの、床掃除のサーバントにバスルーム(トイレ付き)の掃除なんか頼んだらえらい事になります。
「私はそんな低い階級ではない。馬鹿にしないでくれ。」と言って、女性なら泣き出してしまうこともあるんですね。

なかなか難しいです。

でも、写真の時は私の格好が面白かったのか、みんな出てきておなかを抱えて笑っていました。写真のソーマンは少し怖い顔をしてますが、これは、写真を撮るということで緊張しているだけで、この前後は笑い転げていました。

posted by ヒロト at 18:16 | Comment(5) | TrackBack(2) | インド時代の思い出

インドの道案内

昨晩風呂に入っているとき、ふと昔のことを思い出し、「そうだ、これをブログに書こう!」と風呂から出ました。そしたら、三男が「今日こんなことが会ったんだよー」と声を掛けてきたので、喜んで話相手になってましたら、すっかり忘れてしまいました。
今朝目覚めて、「あれ?あ!そうだった!」とやっと気付いたしだいです。
52になると、こういうことが増えます…

インドで駐在員助手のような事をしていた時の事です。

車で、数十キロ離れた場所にある、ある会社に行く事になりました。

車といえば、当時インド国内を走っていたのは、たった二種類だけ。「アンバサダー」と「フィアット」

アンバサダーは少し大きめで丸っこい感じ、ボンネットを開けると体に似合わない小さなエンジンがけなげに回っています。フィアットはもともとイタリア製で、小さいけど結構性能がいいといわれていました。

で、うちが使っていたのは、アンバサダー。よく故障しました。

インド人の運転手が運転していました。大体インド人の運転はとても荒っぽくて、危険が伴います。でも、インド国内ではインド人に運転してもらったほうがいいんです。理由はいつか話しますね。とても重要な意味があるので。

それで、本題に戻り、インド人運転手が運転する車で出かけたときの事。
最初は順調に走っていたんですが、途中から、どうも、何も障害物もないのに、ゆっくり走ったり、道の角で少し止まったりし始めたんですよ。

「アーこりゃ道がわかんなくなったな」と思い、「道がわからなくなったのか?」と聞きますが、「そんな事はない。私はすべてわかっている。私に任せていなさい。」の一点張り。

でも遅れるのは嫌だったので(私が嫌だっただけで、私が遅れても相手は何とも思っていないのですが)、しばらく走ったところの交差点の手前で、強引に車を止めさせ、道端で話をしていた3人のインド人に道を尋ねました。

私の説明を聞きながら、3人とも「あーあそこか」という風にうなずいています。

私は聞きました。この会社を知っていますか?

3人とも「もちろん良く知っているよ。なあー」とお互いに顔を見合わせながら当然だよという感じで答えてくれたので、私はほっとして聞きました。

「ここから、どっちの方角に行けばいいの?」

3人は自信たっぷりに、それはあっちだ!と別々の方向を一斉に指差してくれました。
そしてその後、彼らは自分が正しいとお互いに喧嘩を始めてしまいました。

私たちは、しずかーに 走り去りました。

インドでの道案内には気をつけましょう。


posted by ヒロト at 23:21 | Comment(6) | TrackBack(5) | インド時代の思い出

ビックリしたいならインドへ行こう

ビックリしたいならインドへ行こう


この言葉は、80年代当時のある旅行会社のキャッチです。
こういう言葉があったという事はインドから帰ってきて初めて知りましたが、なるほどうまい事言うなーと思ったものでした。

会社の常務の鞄持ちとして、初めてインドに出張したときの事です。

あらかじめお断りしておきますが、これは、80年代当時の話で今は大分変わっていると思いますが、エアーインディアで、インドニューデリーに着き、ニューデリーインターナショナルエアポートのレストランに入りました。

ニューデリーに着いたのが朝だったので、朝食をとろうとしたわけです。

すると、レストランの中は異常に暗いのです。朝だからかなーと一瞬思いましたが、実は違っていて、少し厚手のカーテンが全部殆んど閉められていたんです。だから暗かったんですね。でもおかしなことに気づきました。何で閉めてるんだろう?目を凝らしてカーテンを見ると、白っぽいカーテンなんですが、表面に黒い斑点の模様があります。「へー不思議な模様!」と、近づいて見ると、それは、模様ではなく、無数のハエでした。とても沢山のハエ。とまってじっとしている。

「えー!ここ国際空港でしょ?」でも空港の高級レストランの中に無数のハエがいました。

私たちは、薄暗い中で食事をし、出ようとしたとき、ボーイがカーテンを開け始めました。レストランの中に外の光が差し込み、部屋の中が外と同じように明るくなりました。すると今までカーテンにとまって、じっとしていたハエが、ぶんぶん飛びまわり始めました。それはとんでもない光景です。

その光景を見て、ボーイが暗くしていた理由がわかりました。

なるほどな!


これはあくまで、80年代のインドの話ですので、今は違うと思いますよ。
posted by ヒロト at 21:47 | Comment(3) | TrackBack(1) | インド時代の思い出

何故インド?

昔、しばらくサラリーマンをしていた時代がありました。


その会社に入社して、同期の社員と一緒に1ヶ月の研修を終え、

配属が決まりました。

国際部という貿易を担当している部署でした。

(やったぜ!)心の中でそう思いました。行きたかった部署なんです。

1週間ほど経って、それぞれの担当国を決める ということになり、

同時配属の8人が集められ、国決めが始まりました。

どういう風にして、決めるのかと思っていましたら、適性とか、

語学力とかは、全く考慮されず、なんと、アミダくじでした。

「まじかよー」きっと今の若者ならそう言うでしょうが、

当時そんな言葉は残念ながらありません。

代わりに、めまいがしました。

くじは進み、インドでした。

あんな奴がと思うような友人が、アメリカやドイツ、イギリス等に

決まってます。

私が、担当の上司に、軽い講義のまなざしを向けると「そうだな、

もう1回やろうか。」ですと。

それで、もう1回やりました。

私は、2回ともインドでした。

それが始まりです。
posted by ヒロト at 22:34 | Comment(0) | TrackBack(0) | インド時代の思い出
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